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sparklersの日記

自己顕示欲と羞耻心と。私に都合のいい私の話。

情報の濃度

携帯を失くした知人が、新しい携帯を買わずに古いPHSを使いネットも仕事以外では触れずに過ごしているという。その代わり、高くて良い本を買ってぼろぼろになるまで読み返しているとのこと。
小学生みたいでしょ、と本人は笑うが、笑って聞く話じゃないよなあと思った。

私は大学入学で上京するまで地方に暮らしていたのだけど、大きな展覧会は来なかったし、舞台芸術なら尚更。本屋も小さい。映画もメジャーどころしか観られなかった。
当時はネットがやっと普及し始めた頃だったので、情報源は専ら紙媒体。新聞の文化欄や雑誌を読んでは、観ることの叶わない絵画やら手に入らない本やらの素晴らしさを漠然と想像していた。

上京したのとブロードバンドが一般的になったのが確か同時期くらいで、一般人のブログで舞台芸術の感想を探すようになった。
大学では文化系のど真ん中みたいな学部だったから、図書館に行けば興味ある本がないことはまずなかったし、生協には話題の漫画がちゃんと売ってあった。
長い大学生活の間にブログからmixiTwitterへと時代は移り、就活でTwitterFacebookを使うようになるギリギリ直前に内定。そういう世代。閑話休題。

結局なんなのかって、リアルとネット両方の情報にアクセスしやすくなったことが、本当に自分の為になってるのかは疑問だということです。
情報はたくさんあるし、それに対する興味もあるけど、生身の身体は一つだ。
体験できる物事も、考えられる時間も限られているわけで。

上京以前と以後ではメディア環境も自分の年齢も全く違うので比較は容易じゃないけど、所謂貧しい環境なりに考えたり想像したり、リアルな体験がなくとも得られるものはきっちり得ていたように思う。

現状、Twitterやニュースサイトは便利ではあるけどフォローするのに精一杯、落ち着いて咀嚼できてるかと言えばとてもじゃないけどできてない。丸呑みして常に胃もたれみたいなもん。展覧会の会期や公演期間をいつも気にして過ごしている。
切実な「いま、ここ」があるかというと、次から次へと追い掛けているのか追われているのか分からないくらいだから消化することが目的と化している。

情報の取捨選択、大事。

冒頭の知人は極端な例だけど、仮に一週間でも三日間でもネット断ちして、厳選した情報に身を浸したら、ネットがある生活と比べてどちらが得るものがあるだろう。自分の場合はおそらくネット断ちのほうが充実してるはず。もちろんネットでないと得られない情報もあるけど、それ以外のところから得る情報と比べたら、ネット外のほうが大きいと思う。

情報の量と濃度については常々思うところはあったけど、冒頭の知人の件を経てようやく書こうと思えた。
あとは、昔から憧れてたルーヴル美術館に実際に行ったことも大きかった。十年くらい前の芸術新潮にルーヴル大特集号があって、ずっと読み返してたんだけど、現物を想像して得るものもあれば現物に接さないと得られないものもありそして両者は同様に大事だと強く実感したので。

とにかく、自分は情報収集の要領が悪すぎるので、ちゃんとしたいです。ちゃんと。