読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

sparklersの日記

自己顕示欲と羞耻心と。私に都合のいい私の話。

おかしくなっている自覚はあるが対処法がわからない

 地震発生から一週間、明らかに自分の心身がおかしいのでメモ。
 寝ても寝ても足りないし、頭の中のある部分は非常に冴え過敏になり、またある部分は全く働いていない感じがある。全身がぐったりとしているときもあるし明らかに力んでしまっているときもある。
 静岡で大きな地震があったとき、私は東京にいたのだが、震度3の揺れに驚き眠れなくなり(というか眠るのが怖くて眠るまいとした)明らかにパニックになっていた。身近な人にも迷惑をかけた。これは反省。猛省。
 ツイッターで「私は福島の人を差別しないという宣言が出来る人はRTを!」というのを見て猛烈に怒る。
 差別しない宣言というのが既になにかおかしいと思うのだが。RTした人が差別をするつもりがないのは分かった。しかしその前提になるのはおそらく今後福島の人々や原発の作業員の人々を差別するであろう多くの人々の存在だ。その前提が許せなかったのだと思う。差別をしないことをわざわざ宣言する必要がある社会、RT元の人がそういう宣言が必要だと判断した社会についても。誰が、何が悪いということにして処理すればいいのかわからなくなりパニックになる。
 私は被爆三世で、祖母が爆心地から2キロだかのところで被爆しているせいもありこの手の情報に過敏になっている自覚はある。余談だけど祖母は16で被爆して今もぴんぴんしてる。子供も孫も健康被害は全くない。
 こういういろいろがあって、おそらくストレス過多で体がおかしい。些細な事からいろんな問題を結びつけ、目に映る全てが負荷になっている。
 ただでさえ余震の中仕事が始まり気持ちに余裕が無いときだったので尚更負荷がかかってる自覚はある。
 差し当たり、頭のいい、というか教養ある友人に「差別が生まれる構造について知ることができる本を知っていたら教えてください」とお願いしている。私は学問として差別を知りたいのではなく、自分が安心したいまた論理的に武装して自分を守りたいだけなんだけど。
 週明けには東京に戻り仕事をする。それまでにいろいろと整理しなくてはと思う。このままでは遅かれ早かれ体に限界が来る。
 追記。
 私が今恐れているのは、原発が落ち着いた後起こりうるであろう展開。
 おそらく福島にいた人や原発の作業員などに対する差別発言を目にすることは不可避だろう。一番たちが悪いのは、「これは差別的発言ではないけど」「私は差別をするつもりはないけれど」という枕詞のもとに述べられる差別発言。平素からいろいろな被差別対象について投げかけられる発言の対象が原発関連のいろいろになる。差別そのものがあってはいけないことは当然だが、差別について語ることはとても難しいし、どう扱っても私は怒りや苛立ちを覚えてしまう。その時に自分のメンタルを守る術を私は知らない。